昭和プロレスを愛するハゲルヤ読者のみなさんにとってはおなじみのプロレスラー、ザ・デストロイヤー。
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得意の足四の字固めを武器に力道山、ジャイアント馬場といった往年の名選手と死闘を繰り広げました。

昭和のテレビ史に残る死闘の数々

当時のプロレス人気も相まって、テレビの視聴率調査では歴代トップ50の中にデストロイヤーの試合が2試合もランクインしています。
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というか、視聴率トップ50の中にプロレスの試合は2試合だけ。つまり、日本のテレビで放送されたプロレスで最も見られている2試合ともザ・デストロイヤー戦なわけです。

1つが1963年の対力道山戦で64.0%。なんとこちらが歴代視聴率ランキングで2位。(ちなみに1位は1963年に放送された紅白歌合戦で、この時の視聴率81.4%)。
2つ目が1965年の対豊登戦で51.2%

歴代視聴率2位男ですよ!欽ちゃんもビックリなわけです。

そんな「白覆面の魔王」というニックネームを持っていた彼が覆面を被っていた理由。

それは・・・

若ハゲだったから!
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デストロイヤーは元々大学院出身のインテリでアメフトやレスリングで活躍していたところをロサンゼルスのプロモーターにスカウトされました。

ところが様々なスポーツで前歯が2本欠け、さらに若ハゲだったことから、プロモーターから「マスクを被れ」と言われ覆面レスラーになったそうです。

その時、歴史が動いた。

ハゲという個性を隠せと言われたデストロイヤー。その言葉を信じて守り続けたのか、デストロイヤーはシャワーの時以外は絶対にマスクを外さなかったそうです。

ご飯を食べる時もマスクをしたまま、車に乗る時もマスク。関係者によるとシャワー室から見知らぬ外国人が出てきた時、誰なのか分からずよく見ていたら向こうの方から「ボクだよ」と言われ、デストロイヤーだと気づいたという話もあるとか。
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プロモーターの言葉を守り、若ハゲを隠し通したデストロイヤーは外国人叙勲で旭日双光章を受賞しました。日米の青少年交流に貢献してきた実績が讃えられたそうです。

「えっ!?デストロイヤーが青少年交流なんてやってたの?」と驚きの方。実はデストロイヤーは母国アメリカに帰ったあと、大学時代に取得した教育学の修士号を生かして水泳やレスリングのコーチをしていたのです。

その後も教えていた高校生や7〜11歳の子供たちに世界を知ってもらうため、日本に連れてきていました。これを20年間続けていたことが叙勲受賞の理由となりました。

日本政府からは叙勲を受賞し、2019年に亡くなったデストロイヤーですが、我々ハゲルヤからも世界に誇るハゲとして賛辞を贈りたいと思います。

今頃は力道山さん・馬場さん・猪木さんと天国で試合をしているかもしれませんね。

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