ハゲルヤ読者の中には、髪が抜け始めたころに「神は我を見捨てたもうた」などと思った人もいるのでは?
私もその1人で、一時期「神さまは何故、このような酷な試練をお与えになったのか…!」と恨みもしましたが、なんとそんな神さまも“悩める子羊”たちに救いの手を差し伸べていたようです。
神さまが“悩める子羊”たちをお救いになった逸話が登場するのは、旧約聖書『列王記下』の第2章。

この章に登場するエリシャという預言者はエリコという町で人々に「見られるとおり、この町の場所は良いが水が悪いので、この地は流産を起すのです」と言い、町の水源に塩を投げ入れて、水を清めたのだとか。しかし、町の水を清めたにも関わらず、その後、エリシャには思わぬ“災難”が待ち受けていました。
聖書によると、、、、
エリシャはそこからベテルに上った。彼が道を上っていくと、町から小さな子供たちが出て来て彼を嘲り、「禿げ頭、上って行け。禿げ頭、上って行け」と言った。(2:23)
というのです。
これは痛烈…。
しかも、聖句の中の“上がって行け”とは、“天に召されろ”と解釈される場合もあるんだとか。ハゲに対する世間の風当たりは、今も昔も変わらず強かったということでしょうか…。しかし、その後の展開が驚き!この仕打ちに対して、神さまはエリシャに救いの手を差し伸べたようです。
エリシャは振り向いてにらみつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうちの四十二人を引き裂いた。(2:24)

この逸話はネットでもしばしば話題となっており
「聖書がこんなに素晴らしい書物だとは思わなかったわ」
「このエピソードは小学校の道徳の授業に取り入れるべきですね」
「ハゲを嗤うものには髪の罰を」
などと称賛する声のほか、
「主に髪生やしてもらえよ」
「神に愛されたくせに髪には愛されなかったのか」
などのコメントも。
一方、この逸話に関して、一部の注釈家たちは、エリシャによって水を清められるまで、エリコの住民は子供たちの町から水を買っており、子供たちはエリシャが自分たちの町の収入源を(禿げさせた、不毛にした)から、このような野次を飛ばしたとも解説しているのでご注意を。
この故事から「根も葉もない、何の根拠もない」を意味する「熊もいなければ森もない」という慣用句まであるとか。
この逸話のほか、旧約聖書の『レビ記』の
第13章には
人がもしその頭から毛が抜け落ちても、それがはげならば清い。(13:40)
もしその額の毛が抜け落ちても、それが額のはげならば清い。(13:41)
という聖句も記されています。

髪が抜け始めたころには神さまを呪いもしましたが、意外にも我々は神さまに愛されているのかもしれませんね。そんな神さまに感謝の意を込め…
