我々が日頃からお世話になっている育毛剤や養毛剤ですが、そもそも育毛剤はいつ頃からあるのかご存知でしょうか。

江戸時代には育毛剤のレシピがあった

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過去の書物を読むと1724年(江戸時代)に刊行された「拾玉続智恵海」には南蛮流毛生え薬の調合法として、カエルの黒焼き、カタツムリ、サイカチの実を煎じて練り上げて頭皮につけるよう記されています。

また1813年(江戸時代)の「都風俗化粧伝」には、セリ、シソ、トリカブトなどの生薬を煎じて、毛の薄くなったところにつけるよう書かれています。「その際にはヘラで塗るように…」とも書いてあり、指で塗るとその指に毛が生えると考えられていました。

明治時代の育毛剤はほとんどが「まやかし」

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1892年(明治25年)には、育毛剤が20種類ほどありましたが、そのほとんどがまやかしものでした。その中で比較的信用できるのは「ヘアーグロース」「第二号養毛液」「総合毛生薬」「玄華」「美人かつら」「ビローゲン」の6種類。

「美人かつら」というネーミングですが、これはかつらではなく養毛剤。当時の広告には鏡に映った自分の顔を見て驚き、美人かつらを塗布する男性が描かれています。

育毛剤マーケット 3つのターニングポイント

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育毛剤マーケットの歴史を紐解くと、3つのターニングポイントがあるとルポライターの佐野眞一さんは指摘しています。それによると、1つ目のターニングポイントは三共製薬の「ヨウモトニック」や「加美乃素」が評判を呼んだ昭和30年代前半。

この2つの育毛剤は戦前から存在しており、「ヨウモトニック」の当時の広告にはかゆみとフケを取り除くことで、壮年性および老年性の脱毛、産後および病後の脱毛に「医療的性能を発揮する唯一の生物学的養毛料」と書かれています。

2つ目のターニングポイントは1973年。第一製薬から発売されたカロヤンの時代になります。当時の育毛剤市場はマイナス成長期。育毛剤メーカーの出荷額をみると、1978年は166億5000万円だったものが、80年は150億9000万円、81年は149億5000万円とマイナス成長を続け、市場は低迷状態でした。

こうしたマイナス成長期を打破したのが3つ目のターニングポイントとなる82年以降です。資生堂が発売した「薬用不老林」の登場で市場は一変。育毛剤市場は拡大の一途をたどり、2018年には4,489億円まで成長しています。
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資生堂は育毛剤の老舗だった

今では化粧品でおなじみの資生堂ですが、化粧品業界へ進出する以前の1880年には毛生え薬を発売していました。

1915年にはヘアトニック「フローリン」を発売。こちらは資生堂初代社長の福原信三氏がアメリカで修行中に、薬品メーカーからプレゼントされた化粧品の1つを国産化したもの。

フローリンは流れるような美しい髪という「フロウ・ライン」に由来。容器には「FLOW LINE IDEAL HAIR TONIC」という英語の名称が書かれていました。このフローリンを男性向け育毛剤として商品化し直したのが「薬用不老林」。

女性用ヘアトニックの販売が頭打ちになっているため、対象を男性へと方向転換したところヒットを記録したというわけです。不老林にも「フロウ」という名称が残されていますね。

今では資生堂の育毛剤といえば「アデノゲンシリーズ」。薬用ですので医薬品ほどの効果は望めませんが、その歴史は受け継がれています。

令和の発毛剤はリアップジェネリック戦争

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リアップX5

そして時代は令和。大正製薬「リアップ」の特許が切れ、各社がミノキシジルの発毛剤を発売する戦国時代に突入しました。
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コーワからはリザレック
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ロート製薬からはリグロEX5など、第1種医薬品の発毛剤が続々と発売されています。今の世の中に生まれてホントに良かったと思いますね。

また、最新の再生治療法も続々と開発されており、人類がハゲと無縁になるのも、そう遠くはないのかもしれません。

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