御年72歳、ハゲ界の師匠ともいえる、海原はるか・かなたのお2人といえば、分け目が1:9のはるか師匠に向かって、かなた師匠が息をふーっと吹きかけると、髪がめくれて頭皮があらわになるものの、はるか師匠が首を回すと元通りになるという、体を張った涙ぐましいハゲギャグでお馴染みです。
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はるか師匠のバーコードは、もはや伝統芸能の域だと感じていましたが意外や意外、このハゲギャグが生まれたのは2000年頃。それまでは劇場でネタを披露するばかりで、海原はるか・かなたがテレビに呼ばれることはほとんどなかったそうです。

ハゲ始めたのは45歳の頃

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海原はるか師匠がハゲてきたと感じたのは45歳の頃。お風呂の排水口を抜け毛がふさぎ、お湯が流れにくくなっているのを見て「ハゲてきたなぁ」と実感したそうで、ハゲも意外と遅咲きだったようです。

ハゲてからは薄くなった頭を誰にも気付かれないようごまかしていたという、はるか師匠。劇場で髪型をセットする際は、楽屋の風呂場で鍵をかけてコッソリやっていたとか。

嗚呼、ハゲしく共感しすぎて息が詰まりそうです。

負けたくないハゲ魂

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ずっとハゲを隠し続けてきたはるか師匠ですが、ある日劇場の楽屋にてハゲをカミングアウトすることとなります。

楽屋で一緒になったのは、横山たかし・ひろしさん、酒井くにお・とおるさんという当時テレビによく出ていたという2組。



楽屋で順番にトークを披露するという芸人さんにはよくある「楽屋トーク」に花が咲いていたそうですが、そこでテレビに出ている2組には負けたくない。「やっぱりテレビに出てない芸人は楽屋でもおもろないねんな」と思われたくないと、はるか師匠の芸人魂に火が付きました。

はるか師匠がハゲていることなど誰も知らない状況で、ハゲてきた髪を思い切ってオールバックに。戦国時代の落ち武者のような姿を披露したところ、大盛り上がりしたんだそうです。

ハゲギャグ誕生の瞬間

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楽屋でウケてほっとするのも束の間、その日の漫才のネタは夫婦がドライヤーの貸し借りでケンカするという設定でした。

ネタの途中で「ドライヤーで何すんねん?」とアドリブを入れてきたという、相方のかなた師匠。

「ドライヤーで何すんねん?」「ドライヤーいらないやろ!」は我々薄毛族が言われがちなことですが、頭皮をしっかり乾かすのは大切な薄毛対策です。

話を漫才のネタに戻しまして、はるか師匠が慌てて「そりゃ濡れた髪を乾かすんやろ」と返すと、かなた師匠今度は「そんなのいらんやろ。俺に言え!」と……。

かなた師匠がはるか師匠の頭に、息をふっと吹きかけると会場は爆笑に包まれたといいます。
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なんということでしょう。

ハゲギャグ誕生の瞬間です。

まさに、劇的ビフォーアフター! ハゲレボリューションが起こりました。

めちゃイケ出演でブレイク

そのギャグの威力は凄まじく、同じ松竹芸能の後輩だったよゐこが噂を広めたことで、めちゃイケのプロデューサーがわざわざ大阪の劇場に。あとは、とんとん拍子で、めちゃイケほか全国ネットのテレビにたくさん出られるようになったんだとか。

……泣いてもいいですか。

ハゲを隠し続け、笑いのためにとハゲを犠牲にし、そしてハゲがきっかけでチャンスをつかみ、50代でのブレイク。こんなハゲイイ話あります?

続ハゲイイ話

ハゲイイ話は、まだ続きます。

海原はるか・かなたの若手時代を支えてくれたのは、住んでいたアパートの近くにあったという、とある洋食店のマスター。

「君、漫才師やな? お金ないやろ」と閉店後に、ただでまかないを食べさせてくれたんだそうです。そのマスターは、すでにお亡くなりになりましたが、今は奥さんと息子さんがお店を続けているそうで……。

当時のマスターの息子さん、現マスターも我々の仲間ですね。ハゲに悪い人はいないですよ。はるか師匠のお気に入りだというAセット、ぜひいつか食べてみたいです。


ハゲは商品やで

テレビに出られるようになり、かなた師匠ははるか師匠に「ハゲは商品やで」と何度も話したのだとか。

頭が薄くなるのは淋しい気持ちもあったでしょうが、ハゲと笑いの間で揺れに揺れ、笑いをとったからこそ今の海原はるか師匠があるのです。

我々も、胸を張って頭皮を開放して生きていきましょう!!

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