ハゲルヤの常連でもあり、「ハゲ魔神」「ピッカリ投法」で知られる元プロ野球選手の佐野慈紀さんが右腕を切断するという衝撃のニュースが届きました。


糖尿病による感染症のため昨年4月には右足中指を切断し、治療のため入院生活を送っていた佐野さん。その後、12月には右手の指2本を切断していました。
さらに、今年1月には糖尿病の影響による心臓弁膜症が発覚。そしてこの度、利き腕の右腕を切断することになったと、自身の56歳の誕生日である4月30日にブログで発表しました。

糖尿病、恐ろしすぎませんか。
人生を共にしてきた利き腕を失うことが、元プロ野球選手にとってどれほどのものなのか、筆舌に尽くしがたいものがあります。
佐野慈紀のジェットコースター人生
佐野さんの人生を振り返ってみましょう。
1990年、ドラフト3位で近鉄バファローズに入団。
1990年、ドラフト3位で近鉄バファローズに入団。
中継ぎ投手として、日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとなりました。
2003年の引退後は、野球評論家・解説者として活躍。

ドリームマッチでは「ハゲ乱闘」という見せ場を作ってくれました。
明るいキャラクターは、島田紳助さんから「今すぐ引退してお笑い芸人になっても十分生活できる」と太鼓判を押されるほど。
そんな佐野さんの人生が大きく変化したのは2018年のことでした。
親友の野茂英雄さんから借りたお金を返さずに告訴されてしまったのです。
借りたお金を返さないのは佐野さんが悪い。自業自得です。
その後、借金返済のため運転手の仕事に就くも、およそ3か月で辞め、深夜の水道局のアルバイトをしていたこともあったというのだから驚きですよね。
2019年には心不全で倒れ3週間の入院を余儀なくされました。
借金を返さないのは自分が悪いですが、まさか後にボールを投げていた右腕を切断することになるとは。
さらに、その後は心臓弁膜症の手術も待っており、「感染症も5年生存率と言われ 再発のリスクもある」と厳しい現状を明かしています。
さらに、その後は心臓弁膜症の手術も待っており、「感染症も5年生存率と言われ 再発のリスクもある」と厳しい現状を明かしています。
しかし、佐野さんは辛い状況を報告するブログを、こんな風に締めていました。
失われた右腕これも長い人生の一つ。そう思いたい。元来ただの強がり。ならば命ある限り強がって生きる。やる事はまだまだたくさんある。目一杯抗いでやる。56歳を迎えた右腕のないハゲたおっさんですがどうかよろしくお願いします。皆さんもどうか健康第一で!みんなかがや毛~!ワシ、野球選手やったんやで!!!
「みんなかがや毛~」の言葉が染みます。我々も健康第一でハゲに抗って生きていきましょう。
そして、恐ろしすぎる糖尿病の予防のために、食生活を見直し適度な運動も心がけていきたいですね。