東京都内だけでなく、全国的にも店舗を展開している老舗天ぷら専門店「銀座ハゲ天」。店名に光る「ハゲ」の2文字は伊達ではありませんでした。今回は1970年に出版された『ハゲ天渡辺徳之治の想い出』とともにその歴史を紐解いていきたいと思います。

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銀座ハゲ天の創業は昭和3年。今から80年ほど前に東京の九段で「多か良(たから)」という屋号で渡辺徳之治氏が店を立ち上げたのが最初だといいます。当時の常連客には水上滝太郎(作家)、桂三木助(落語家)、吉川英治(作家)、泉鏡花(作家)など、錚々たるメンツが揃っていたそうで、なかなかの人気店だった模様。

この頃から主人の渡辺徳之治氏は相当な若ハゲで、常連客からは『おいハゲ天』とからかわれていたと言います。現在であれば、ハゲにハゲと言ってからかうなど言語道断ではありますが、当時はまだまだおおらか(?)な時代。渡辺氏も自身のアタマを気にしつつ、やりすごしていたのではないでしょうか。

その後、前述の水上滝太郎氏の援助を受けて銀座に店を移す際、ある人が「今度は(店名に)ハゲ天とつけたらどうだ」と言ったといいます。銀座に店を出すとなれば一世一代の大勝負、渡辺氏はとにかく悩みました。なんせ店名をハゲ天にしろというのですから、当然ですよね。

しかし水上氏が一言「進出とはいえ、背水の陣を敷くわけだから、この際『ハゲ天』を売物にする位の気概がなくてはいけない」とアドバイス。これで渡辺氏は腹を括り、当初の店名にハゲ天を加えて「ハゲ天多か良」として銀座に進出することになりました。

するとどうでしょう。来店するお客さんはみんな「ハゲ天」としか店を憶えてくれない。一方でお店は大繁盛。最終的に屋号もは現在と同じ「ハゲ天」だけになったといいます。

ことの次第は銀座ハゲ天のHPにも記載されており、全国に名を知られる名店の由来を現在に伝えています。
「ハゲ天」の名前の由来
1928年、東京の九段で天ぷら屋を始めた時の屋号は 「たから」。
ところが初代の店主、渡辺徳之治は完全なハゲ頭だったので、お客様からは「ハゲの天ぷら屋、ハゲ天」としか呼ばれず、翌年銀座に進出する時に思いきってこの「ハゲ天」を屋号にしました。 その後、お客様に覚えていただきやすい名前としてこの屋号は広く浸透し、現在に至ります。

銀座ハゲ天|ハゲ天のこだわり
それにしても、あの有名店の屋号が決まる経緯がこんな話でいいのでしょうか。ハゲ天は現在3代目の渡辺徹社長が率いていますが、祖父から受け継いだDNAなのか、屋号の通りのアタマをされています。これからは、天ぷら食べるならハゲ天ですね。

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